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最近「こころ」について考えています。

「こころ」を知るということ。
自分の「こころ」を体の中心にもってくること。
「あたま」でなく、「こころ」で感じるということ。
精神と肉体のバランスの取れた生活を送りたいとおもったとき、「こころ」を知ること、「こころ」の畑を耕してやることは大切なことです。

心の連続体

仏教では、一切のものは一瞬たりとも同じものでありつづけることはなく、つねに一瞬一瞬変化していると考えられている。「諸行無常」と言う言葉にあるように、これば「無常」の意味である。心についても、何か一つの同じ心がありつづけるのではなく、毎瞬ごとに変わっていくその連続隊な流れを総称して「心」と名付けているにすぎない。したがって、心とは「心の連続隊(心相続)」にほかならないのである。

(ダライ•ラマの仏教入門 ー 光文社 より抜粋)

このこころの流れというのを、感じる事が出来る精神の平和な状態を創りだすことが、バランスの取れた生活に繋がってゆきます。人生に大きな波があるとき、忙しくてゆっくりする時間が作れないとき、心がざわざわと波だって落ち着かないとき、一日に数回でも、深い深呼吸をして、瞑想をします。静かな瞑想によって、時間の流れのなかにやわらかな自分の空間を作り出し、自分の「こころ」がどこにあるのか、そしてそれがどんな早さで流れているのか、感じることができます。

書は、こころの鏡。
筆から描き出される線は、じぶんの精神状態を描き出している、と筆を持ちながら日々思います。

ふでのすすめ。